人事に対する不満

早期退職

早期退職をされる方の大半は、会社の人事に何らかの不満があるものと思います。

筆者の場合、何をやってもよい評価を得られないと分かった時点で、人事評価をまったく無視するようになりました。

低いレッテルを貼られていることを気に病んでも、今後生きていくうえで何の得もありません。そこで、自分のことを棚にあげてでも、人事評価の側の問題点を考えるようにしたのです。

また、人事コンサルの誤導が、経営の低迷をかえって招いているのではないかと考える人も少なからずいることでしょう。筆者の勤めていた会社でも、経営トップが主導してコンサルが作った「人事制度改革」が絵に描いた餅となり、数年で軌道修正を余儀なくされる始末となりました。

そこで、人事評価に関するいくつかの問題点に触れていきたいと思います。

そもそも、客観的な評価など存在しません

客観的な評価をするために、SMART目標(後述します)やコンピテンシー評価(仕事で優れた成果を上げる人に共通する行動特性をモデル化して、仕事の場における行動を評価する人事評価方法)などを導入しますが、基本は下記に挙げる上司の主観で物事が決まります。

  • えこひいきが、判断の基礎であること
  • 似た価値観の者が昇進しやすいこと
  • 性別による差別が存在すること(最近は、女性有利)
  • ハロー効果(一部の特徴で、すべてを判断してしまうこと)にとらわれること
  • 自分自身の処遇を基準に、部下を評価すること

ほとんどの社員は、自分が真ん中より上だと思っています

一方、社員のほぼ全員が「自分は優秀である」と思っています。よって、考課の結果が最高ランクでない限り、顔色には出さずとも腹の底では失望します。そこで、気持ちが和らぐように「自分は真ん中より上に入っている」と暗示を

かけるようになります。実際の調査では、約8割の人が「真ん中より上」と認識しているようです。

いい上司に巡り合う幸運

自分を高く評価してくれる上司に巡り合うことは、何とも幸運なことです。

いい上司に巡り合えれば、日ごろの話し合いで、よくできた部分と改善が必要な部分がよくわかります。本当に良好な関係であれば、面談の際も互いに心を開いて話し合えるからです。

しかし、悪い上司につけば、面談の際は悪いところばかり指摘されるか、大した会話もなく終わります。

そもそも、人事評価というものは特異な行為です。上から他人を評定すること自体に、驕りがあると思います。会社組織とはそういうものだと、何の疑いもなく思っているから、このような声はあまり上がりませんが、人間関係によからぬ緊張感を与えていることは、まぎれもない事実です。

また、人事評価は、上司は判断力に優れ、部下が劣っているという前提に行われます。実際、部下の方が優秀なことはいくらでもありますが、賢い部下は「自分は出来が悪く、上司の助けがないと何もできない」という馬鹿げた猿芝居に付き合っているのが実態です。

上司と部下の会話も、結局上司がつけた評価がどうなっているか、腹の探り合いに終始して、前向きな話ができなくなってしまうことが多々あります。

江戸太郎
江戸太郎

ほとんどの社員は、低い評価にがっかりするのだ…

いったんついた低いレッテルは、なかなか剥がれない

「ラベリング効果」という認知バイアスがあります。特定のレッテルが貼られると、そのレッテルによって判断や記憶が歪曲されてしまうというものです。潜在的に、このような経験をしている人は多くないでしょうか?

レッテルの恐ろしさは、そのとおりのイメージがこびりついてしまうことです。

幹部候補生を選りすぐって特殊教育を受けさせているいくつかの企業がありますが、他の従業員のモチベーションなどお構いなしなのでしようか、と気になります。

優秀な社員は、何をやっても許される

その一方で、優秀とみなされた社員は、広範な裁量権を与えられます。優秀さんは、無謀な挑戦をしてもなぜか許されてしまうという不思議な側面があります。優秀さんの失敗はマイナスとはみなされず、むしろ挑戦する勇気と意欲があり、エリートならではと誉めそやされることもあるのです。

これも、壮大な認知バイアス効果と言えるでしょう。

江戸太郎
江戸太郎

平凡な社員がやらかしたら、タダでは済まぬだろう

まずは「普通」に収れんする人事評価システム

客観的で構成な評価を行うには、SMART目標を用いるのが最適だと考えられています。

  • Specific (具体的)
  • Measurable (測定可能)
  • Achievable (達成可能)
  • Realistic (現実的)
  • Time-bound (期限がある)

会社によって、評定項目はさまざまですが、いくつかの評価要素に基づいて点数をつけます。

この評価システムに沿って、部下に点数をつけたとします。大抵の人は、極端な評価をつけられず「普通」に収まります。極端な(低い)点数をつけられるのは、欠勤が続いている場合や部下が気に入らない場合でしょう。

ですから、今年は仕事を頑張ったので、高い評価がつくことを期待しても、釣鐘曲線に沿った分布にあてはめられるだけなので、平凡な結果に終わってしまうことが多いのです。

評価システムにそぐわない事例が多い

すべての職務が、このSMART目標の形に当てはまっているわけではありません。実際、はっきりと定義できず、他者の動向や環境の変化に左右されるものがたくさんあります。ところが、人事部はこの評価基準に沿って書くように指示してきます。仕方なくむりやり数値化して、実態と乖離した評価が生まれたりします。

SMART目標には、部下に対する上司の期待度のばらつきに対応ができないことにも問題があります。部下に対する期待度がもともと高い人もいれば低い人もいて、バラバラなのです。

人事評価は、上司の声の大きさで決まる

心ある上司は、部下の成功を願って、一生懸命に指導するものです。傾向として、低い評価の者を少しでも高く評価して、全体を平均に合わせようとします。

そして、各自が作成した点数リストを持ち寄って協議を始めます。あいにく、高い評価を与えられる人数には制限がついているものです。そこで、自分の部下の方がも上だと言って、延々ともめあいを始めるのです。この協議は、大声で自分の主張をごり押しする者が勝利する、不公平なものになりがちです。

もめあいがしばらく長引くと、会議のリーダーが、あらかじめ自分が用意した評価案を小出しにしていき、結論に収束するように促し始めます。リーダーの発する雰囲気を察知した出席者は、互いに自己主張を引っ込めて、各自軌道修正に応じていきます。

私自身、会社を渡り歩いたわけではないので、会社によってまちまちだと思いますが、おおよそこのような感じで物事が進んでいくのではないかと思います。

そして、もめた結果、賞与や給与がいくら差がついているかというと、大した差にはなっていないのです。一体、何のためにもめたのかわからなくなってしまう気分になるのです。

客観的な人事査定会議など、所詮は絵空事です。およそ、感情的で偏見に満ちています。そうなると最も弁舌が巧みで、相手を言いまかすことができる管理職に分配が上がるのです。議論のスキルが乏しい上司を持つ部下は、まったく気の毒な結果になってしまうのです。一連の評価プロセスの中で、最も偏見に左右されやすいのは、評価ミーティング、対業績効果と呼ばれる面談です。SMART目標やコンピテンシー項目を使っていれば、上司の部下に対する評価は客観的であろうと思いたいところですが、実際には上司の評価が複数の偏見に左右されていることが、この分野の研究によって明らかになっています。

人の評価は、状況によって変わるもの

ドジャースの大谷選手が、高校時にスカウトに評された一節を紹介します。

「花巻東(岩手)の大谷は190センチの体で、手足が長く、筋肉が柔らかい。その体があって、160キロ投げられる。凄い。しかしぼくら、雨で順延がつづいて、危惧しとったんです。集中力は?持続力は?各バッターに強弱をつける、ストライクゾーンの四隅を投げ分ける技術や精神は?結果、決勝戦で5失点しました」

「ピッチャーに、大谷のようなスピードは求めん、140キロ出せればええんです。それより、いかに狙ったとこにボールを持っていくかという技術の高さと、感謝の気持ちや正しい返事ができる人間性が大事です。技術のない者はキャンプで終わる。技術を持ち、自分の欠点に気づき、教えられずに自己矯正できる者が一軍に行けるんです」

見方が変わると、大谷選手ですら厳しい評価を受けるのですから、平凡な我々が手厳しい評価を受けないわけがないのです。

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