ヘイミシュ・マクレイの「2050年の世界」を読んで、日本の将来について高齢者の退職という視点から考えてみました。
2050年の日本社会
あと25年後は、平成一桁生まれの者が、企業をけん引する時代です。現在、35歳以上の者が退職しています。
日本の人口は1億人を割り込み、世界でもっとも高齢化がより進みます。
右を見ても左を見ても、高齢者ばかり
定年が75歳まで延長されているでしょうが、企業のリーダーが50~60代である以上、高齢者には役職定年制が依然のしかかるはずです。
社会には、今以上に大勢の退職者が溢れていることになります。
債務デフォルトの懸念
退職者の収入が減ってしまうので、当然に国全体の税収は伸びを欠きます。増税もありえますが、これ以上の負担には社会が耐えられないでしょう。
そうすると、日本の債務の対GDP比は、これからも上昇し続けることになります。どこかで、債務のリセットつまりデフォルトの危機がやってくるおそれがあります。
日本の債務整理が、いつどのように再構築されるかは誰にもわかりません。世界的な金利の上昇が引き金になるかもしれないし、あるいは国内の政治情勢が原因になるかもしれません。
労働力が高齢化する中では、高い公的債務が持続不可能であることは数字を見れば明らかです。日本は強靭だが、混乱と痛みを伴わずに公的債務問題を解消できるとは思えません。
2050年の日本は世界第4位の経済大国ですので、仮にデフォルトしようがものならば、世界経済は大混乱します。混乱がないように問題を着陸させることが、日本の政治のもっとも大きな課題です。
身寄りのない高齢者の遺産を国庫に帰属して、債務とチャラにするしかないんじゃない??
再び「鎖国」となるか
高齢化によって、人々は海外に出ずに日本にとどまります。
国内志向の高齢者が増えることで、日本は、より日本らしく熟成するのでしょう。温かい人情、穏やかな人間関係、治安のよさ…など、日本が誇る安全面は一層磨きがかかります。
日本の独自性を好む外国人は、今後も一定数入ってくると思いますが、さすがに海を越えて、大量流入とまではいかないでしょう。
世界の他の地域では、流出入が盛んであるようだと、その対比関係として、日本の国境は、さながら閉じたような状態になると思われます。
鎖国か…歴史は繰り返される
老々介護で街が消える
高齢者の介護はは別の元気な高齢者が行います。小さな町には住民がいなくなり、空き家や空き地が増え、田畑は荒れます。従業員がいなくなった工場跡地は、データセンターや倉庫に変わっています。
東京だけは人口は横ばいですが、その他の約6割の自治体において、約30%人口が減少します。
市町村の統廃合が進むとともに、鉄道や商業施設などの過剰なインフラが姿を消していきます。
過去の経済発展の恩恵に頼って生きていく
2050年において、日本は、経済やテクノロジーの面で世界のリーダーの座を維持できているのでしょうか。
あいにく、現在の技術力は、一世代前に培われたスキルの上に成り立っている状態です。今のシニア世代は、その恩恵を受けて生活できた一面があります。
日本は、戦後はハードウェアの生産に優れていることから、世界経済を大きくけん引してこられました。しかし、その輝かしい時代は終わっています。
それでは、若い世代に大きな期待を寄せてもいいのでしょうか。若者のレベル自体は低くはないのでしょうが、如何せん人口が少ないのです。厳しい話ですが、高齢者による何らかのイノベーションがないと、先行き細ってしまうのではないでしょうか。学びなおしも必要ですし、高齢者が意欲的に取り組める資格取得の支援や補助なども必要でしょう。
東アジアの地政学上の問題
2050年において、果たして中国とは対峙できているのでしょうか。
さすがに、尖閣諸島の防衛は必死に取り組むでしょうが、両国が衝突が起きていない保証は、どこにもありません。中国の膨張が将来止まっているとは、考えられません。日本の異なる方向の東南アジア方面での緊張が高まった場合に、日本が積極的に立ちはだかるのか、または傍観するだけなのか、。
軍事衝突が起きた場合、高齢者はおよそ戦力にはなりえません。中国も同様に高齢化していますが、圧倒的に数的では優位です。防衛予算を積めたとしても、アメリカの後ろ盾があるとしても、戦力の不安はぬぐえません。
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