電通マンぼろぼろ日記

失業保険

あこがれだった電通が…

「電通マンぼろぼろ日記」とは、福永耕太郎さん(仮名)という方が書かれた、本のタイトルです。電通で働いて、ぼろぼろになったという赤裸々なエッセイですが、個人的には電通という会社には、どうも昔から負い目があるせいか、斜め読みしかできませんでした。

まだ、放送業界、音楽業界、出版業界が活気づいていた時代、電通はこれらを裏から束ねるマスコミ文化の牽引役でした。今でもそうなのですが、各業界の輝きが色あせている中において、電通の力も落ちています。

そんな電通には憧れを持っていましたが、自分には入社できる自信もコネも実力もなく、電通と異なる会社で過ごすことになりました。

自分の大きさと会社の大きさ

平成初期の電通は、「24時間戦えますか」のキャッチコピーに象徴されるように、寝ないで仕事をして、派手に金を使いまくり、女遊びにふけっているイメージでした。

本に書かれている内容も、そのイメージ通りです。

社会的な影響力が大きい会社にいると、いつしか会社の実力を自分の実力と混同してしまい、有頂天になるものです。

ある財団の法人に勤める人が、福永さんにこう言ったそうです。

「自分の大きさと電通の大きさを同じだと思わないように」

そんな忠告は、初めから分かっていると思いがちですが、いつしか忘れてしまい、会社を辞めるころに、改めて気づくものです。

給料の話

かつての電通は、高給取りでした。現在は知りませんが、残業代が青天井だったので、月100時間超えなど当たり前なので、1か月の給料が約100万円です。それに、賞与が10か月分、さらに接待費の使用が可能になるので、年額に換算すると3,000万円近くもらっていることになるのです。

その金が、飲食やタクシーに流れているのですから、日本国内の景気が活性化するのです。そして、給料や交際費が削られ、コンプライアンス重視の風潮や、コロナのまん延などによって、その金の流れが断たれた途端、

早期退職と離婚

そんな福永さんは、若いころは仕事のやりがいとお金に恵まれて、イケイケの生活を送っていましたが、どうしても家庭を顧みなくなり、そのフラストレーションがたまり、夫婦仲が険悪となり、離婚をしてしまいました。

また、会社でも昇進の階段を順調に登れなくなり、早期退職を余儀なくされました。

仕事と家庭の両方を、50代で失ってしまったのです。自業自得なのかもしれませんが、老いに向かう一面で、すべてがなくなるのはつらいことです。

こうなる前に、第二の人生について準備をすべきといえばそれまでですが、大半の会社員は突然路頭に迷っているのではないでしょうか。

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