ソニーのよもやま話

早期退職

ソニーの早期退職について、アクセスがありました。

私自身はソニー出身ではありませんが、ソニーに絡む親戚などがおりました。また、仕事では時折会社に出向いておりました。

いくつか、エピソードがありますので、差しさわりのない程度に紹介します。

出井さんとのコネ

私の妻のおばが、出井さんと学校が一緒でした。ちょうど、ソニーの社長になるころで、「伸之ちゃん」と呼ぶ仲でした。天下のソニーの社長をちゃん付けですから、ちょっと驚きなのですが、そのほかにも森山良子をリョウちゃんが、出井さんと学校が一緒でした。ちょうど、ソニーの社長になるころで、「伸之ちゃん」と呼ぶ仲でした。天下のソニーの社長をちゃん付けですから、ちょっと驚きでした。

その当時、出井さんは成城に住んでいました。そばには、横尾忠則氏の住まいがありました。

入社試験

出井さんとの強力なコネクションを持っていた妻は、その縁を頼ってソニーを受験したのでした。当時は広報部長か何かだったそうですが、会社を訪問した際は、英語が達者な秘書が、横で外国人とペラペラ交渉していたそうです。

筆記試験を受けてくださいとのことで、妻は受験したのですが、あまりの英語の難しさにやられてしまい、筆記試験の時点で不合格となったのでした。

ソニーには、語学もできる優秀な方が入られたのですが、その方々が皮肉にも早期退職で放逐される運命となったようです。

映像事業とのかかわり

一方の私は、主に映像事業の方々と仕事でつきあいがありました。

大崎の本社、目黒のPCLラボ、厚木工場などにも何度か足を運びました。みなさんいい人で、良くしていただきました。

その一方で、私自身は、出井さんのころのソニーは、正直虚業に思えてしまうところがありました。当時読んでいた「島耕作」の影響もあってか、ソニーのみならず電器産業全体を鼻白んでみてしまう向きがありました。

今の若い人

また、現在の若手世代の社員にも数名会うことがありました。皆、転職含みの考えを持っているようですが、しっかりした人ばかりです。井深、盛田の時代、出井の時代の企業文化の比較がないソニーを頑張って生きているように見えました。

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